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論点:現在「Kawaii」として改めて注目されている日本の禅画のルーツは何だったのか?実は朝鮮通信使の影響を受けているのではないだろうか。

朝鮮通信使がもたらした日本絵画への影響-「モシッタ」から生まれた「Kawaii」禅画-

朝鮮通信使は1607年から1811年の間、12回来日している。使節団には必ず画員が一名以上同行することと、その顔ぶれは使行の度に変わることが通例となっていたが、金明国(1600年~?)は例外として第四回(1636年)と第五回(1643年)の使行に続けて同行している。また、第六回(1655年)の使行には同行していないものの、金明国の影響を色濃く受け継いだ韓時覚(1621年~?)が来日している。朝鮮通信使の画員は、道中の景観を軍事利用のために記録することと、日本人に求められた際に絵を描くことが任務であった。画の落款や年記を通じて後者の目的で描かれたと確認できる作品は35点現存している。来日した13名の画員のうち、8名の作品のみが現存していることとなり、興味深いのは金明国以前に来日している李泓虬*、柳成業*、李彦弘*と、第五回(1643年)の使行に金明国と共に来日した李起竜*、及び第八回(1711年)の使行に同行している朴東晋*の作品が現存しないことだ(*は生没年不詳)。また、朴東晋の前後に来日している咸悌建*及び咸世輝*の作品は1点ずつのみ現存する。時代の荒波に揉まれて、高く評価された作品だけが残されたと仮定すると朝鮮通信使の画員が及ぼした影響が最も強かったのは金明国と韓時覚が来日した1636年~1655年の間と(崔北*・)李聖麟*と金有声*が来日した1748年~1764年だと考えられる。第十二回(1811年)の使行で来日した李義養*の作品は金明国に続いて現存作品が多いが、対馬で応接したため日本絵画への影響力については疑わしく、除外することとする。

では、日本で高く評価されたとする金明国・韓時覚と李聖麟・金有声の共通点は何であったか。通説では「禅画風な減筆」とされているが、日本を代表する禅画の作者である白隠(16851768年)と仙厓(17501837年)は金明国や韓時覚来日時に生まれていなかった。禅宗絵画は南北朝時代(14世紀)に中国から日本へ伝わり、16世紀までの達磨図は雪舟の《慧可断臂図》や祥啓の《達磨図(南禅寺)》に表されるように鋭い眼光と厳しい表情で鮮明に描かれている。これは室町時代の禅僧が幕府権力との関わりが深く、禅宗絵画も彼らに需要されていたからだとされている。江戸時代に入ると幕府は朱子学(儒教)を武士の教養として取り入れたため、禅僧は活動の基盤を庶民への布教に移行した。風外慧薫(15681654年?)は江戸初期に上記の<禅宗絵画>とは一線を画す<禅画>を多数描いた禅僧である。室町時代の禅僧が暮らした大きな禅寺ではなく、郊外の洞窟に暮らし、小さな紙に達磨や布袋を描いて食料を得ていた庶民的な僧である。精密な線描を用いることなく、《達磨》の表情は淋しげで、《布袋》は笑顔ではなく微笑を浮かべている。また、墨は全体的に薄く、線の湾曲は柔らかい。現在、「Kawaii」として改めて注目を集める禅画の代表格である仙厓の禅画や金明国が描いた《達磨図》に通ずるものがある(ここでは敢えて「かわいい」ではなく「Kawaii」と表記する。日本が21世紀に於いて発信するKawaiiは「キュート」のみならず、「少し奇抜でグロテスク」「どこか抜けていて面白い」「完全な状態を目指す『キレイ』より親しみやすい」を特徴とする)。風外慧薫は金明国が初めて来日した1636年に68歳だったことになるが、恐らく二者間に交流はなかったであろう。それどころか、絵で少量の食料しか得られなかった風外慧薫と、多くの酒の席で座画を描いた金明国とは影響力の差に大きな隔たりがあったのではないだろうか。この事から先に生まれた風外慧薫が金明国や、白隠・仙厓に影響を及ぼした可能性は非常に低いと言えよう。

金明国が母国では「洒脱な趣向(1)」を持たず、来日中は当時の朝鮮の他の画家にも見られない特殊な描写をしていたことから、日本人の趣味に合わせて絵を描いたとされている。お互いの文化や言葉が完全には通じない環境の中で、絵画は大切なコミュニケーションツール、そしてエンターテインメントとして役立ったことは想定できる。しかし、大酒飲みが即興で、慣れない技法や主題を用いてこのような伸び伸びとした迫力のある絵を描けるか、非常に疑問を感じる。金明国が遺した絵からは母国の「モッ」の心を感じざるを得ない。描写の不完全さからにじみ出る、背景にある画力とユーモア、そして人間力を感じるのである。また達磨図がいくつも現存することから、達磨への愛も感じてしまうのである。14世紀から崇儒廃仏の国となった朝鮮と、禅宗をベースに朱子学(儒教)を江戸時代から取り入れた日本の文化交流の中で何故あえて達磨を用いたのか。禅宗と儒教は、答えを他力ではなく自らに見出すことが類似点であり、儒教は更にそれを発展させ、自ら見出した答えを社会のために役立てる教えである。従って「日朝が見つめる理想は同じである」そのような事を説きながら金明国は絵を描いたのではないだろうか。決して日本人に合わせて「禅画風」に描いたのではなく自身が「モシッタ」だと感じるメッセージを全力で表現したのではないだろうか。

このように考えると写意性や親しみやすさを優先する日本の禅画は金明国が伝えた朝鮮の「モッ」の文化に影響を受けているように感じる。金明国の《鷺図》には林羅山(15831657年)の著賛が入っている。徳川家に仕える林羅山は、絵画に精通し、朱子学を基軸とする幕府教育と封建制度の確立に寄与した。莫大な影響力を持つ林羅山が認めた金明国の絵は、名家に生まれて各地の禅寺で修行をした白隠の目に入り、本格的に禅画をジャンルとして確立する上で影響を与えたのではないだろうか。

【参考文献】

(1)辛基秀ほか「朝鮮通信使絵図集成」株式会社講談社、1985年、119

辛基秀ほか「朝鮮通信使絵図集成」株式会社講談社、1985

辛基秀・仲尾宏「図説 朝鮮通信使の旅」株式会社明石書店、2000

仲尾宏「『鎖国』史観を越えて 朝鮮通信使をよみなおす」株式会社明石書店、2006

土田健次郎「儒教入門」財団法人東京大学出版会、2011

影山純夫「禅画を読む」株式会社淡交社、2011

仲尾宏「日朝関係史論 朝鮮通信使の足跡」株式会社明石書店、2011

矢島新「かわいい禅画 白隠と仙厓」株式会社東京美術、2016

中山喜一朗監修「別冊太陽 日本のこころ243仙厓 ユーモアあふれる禅のこころ」株式会社平凡社、2016

角謙二「別冊Discover Japan CULTURE アートから学ぶ禅の心The Mind of ZEN」株式会社枻(えい)出版社、2016

浅井京子「画題でみる禅画入門 白隠・仙厓を中心に」株式会社淡交社、2017

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